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高橋 榮治(多摩ふるさと資料館主・学芸員)
昭和60年4月の職員配置移動で私は県本庁から希望していたフラワーセンター大船植物園へ転任することになりました。 残された定年退職まで3年間に広く県民の皆さんと交流の機会を得たいと願っていたからです。
植物園は、元県農事試験場を衣替えした経過があり、内外に有名なシャクヤクやハナショウブは、当時改良育成された所産で大船系として今に伝えられ、開花のシーズンには多くの来園者を迎えますが、この伝統は植物園に衣替えした後も、ユリ、シャクナゲ、ツツジ等で品種改良が行われて、ツツジの“古都のあけぼの”などが世に出ました。
玉縄桜はこのような業務とは異なった経過で世に出ました。
昭和43年サクラの台木を養成するために染井吉野の種子を採種し、44年春播種しました。(担当は小栗義隆氏故人) その実生苗木の中に発芽が半月ほど早い1本を見つけ育成したところ、昭和49年に初めて開花しました。
花は染井吉野に似ているものの3週間くらい早く開花し、気温の低い時期に咲くので1か月もの長い期間鑑賞できる特長を確認して特性調査を継続しました。
染井吉野に類似するものの、明らかに新系統と判明したので、昭和62年種苗登録を出願することになりました。
出願に当たっては品種名を命名する必要がありますが、登録品種名は商工関係の特許名や、商標に相当するもので、関係機関は農林水産省が窓口になっています。命名は植物園の職員のサクラに寄せる思いの結果ですが、昭和62年の出願には植物園の東を流れる柏尾川にちなんで柏尾桜(かしわおざくら)と命名して出願しましたところ、書類審査で改名するようにとの指導があり、再度協議して園に近く、由緒ある地名の玉縄をサクラに冠して玉縄桜と命名し、現在に至っています。
柏尾桜の改名の指導の理由には、当時普及し始めていた電算機CASIO(カシオ)との混合が懸念されたなどと後に聞かされた次第でした。
審査が厳密な特性の書類審査と、開花期の現地調査で、サクラが専門の学識者によって綿密に行われ、3年後の平成2年に玉縄桜の名で念願の種苗登録がなされたのです。

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